大阪高等裁判所 昭和37年(う)1437号 判決 1966年5月19日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
第一、本件事案の概要
本件公訴事実の要旨は、
被告人中辻は大阪学芸大学天王寺分校の学生、被告人井上は大阪市立大学の学生、被告人石原は大阪学芸大学池田分校の学生であるが、他の学生一〇数名と共に、昭和三四年一一月一三日午後二時二〇分頃、大阪市天王寺区南河堀町三番地の大央アイス株式会社販売所前路上において、大阪府天王寺警察署勤務の巡査小川博(当三〇年)に対し、同巡査が大阪学芸大学池田分校の学生峠越昌子(当一九年)と交際を始めたことについて弁明を求めたいので同大学天王寺分校まで同行されたい旨強く要請し、同巡査がこれを拒否したにもかかわらず、実力に訴えて連行すべき気勢を示すに至つたので、同巡査において難を避けて後退しながら同販売所内に入るや、ここに被告人等は他の学生数名と共同して同巡査の胸倉を掴み、両腕を取り、肩を押す等の暴行を加えて同巡査を同販売所前路上に引きずり出した上、同巡査の両腕を取り、ズボンの両足首附近を掴み、後より押す等して同巡査を約一〇〇米離れた同市天王寺区南河堀町四三番地所在の前記学芸大学天王寺分校内に引きずり込み、以で数人共同して同巡査に暴行を加えたものである。
というのであり、検察官は冒頭陳述において、被告人三名の実行行為として、
(一) 前記大央アイス株式会社販売所より小川巡査を引きずり出すに際し、
(イ) 被告人石原は小川巡査の上衣の襟を掴んで同巡査の顎を小突き、ついで同巡査の左腕を抱き込んで引張り、
(ロ) 被告人中辻は同巡査の右腕を抱き込んで引張り、
(ハ) 被告人井上は「連れて行け連れて行け」と申し向けて他の学生を指揮し、
(二) 前記大央アイス株式会社販売所前路上より前記大学天王寺分校内に引きずり込むに際し、
(イ) 被告人石原は小川巡査の左腕を抱き込んで引張り、
(ロ) 被告人中辻は同巡査の右腕を抱き込んで引張り、
(ハ) 被告人井上は同巡査の右手の袖口を引張つた。
ものである、と主張していいる。
原判決はこれに対し、証拠を検討した上、被告人三名が他の学生達数名と共同して、小川巡査の胸倉を掴んで小突き両腕を取り、肩を押して同巡査を大央アイス株式会社販売所(以下単に大央アイスという)前路上に引きずり出したこと、特にその際被告人等がそれぞれ右(一)の(イ)(ロ)(ハ)記載の行為をしたことについては、これを認めるに充分な証明がないと判断し、また被告人三名が他の学生達数名と共同して大央アイス前路上から同所より約一〇〇米離れた大阪学芸大学(以下単に学大という)天王寺分校内まで、小川巡査の両腕を取り、ズボンの両足首附近を掴み、腰を抱え、後より押して同巡査を引きずり込んだこと、その際被告人等がそれぞれ右(二)の(イ)(ロ)(ハ)記載の行為をしたことについては、「被告人石原、同井上が他の学生達数名と共同して、大央アイス前路上から、同所より約二〇米はなれた『裏』米屋附近あるいはそれよりやや学大正門寄りの地点まで腰を落して足を突張り、上体を後えそらせて拒否の姿勢を示している小川巡査の右腕、左腕をひつぱりあるいはかかえ、あるいはその背中を押し、腰を後から押すようにして引きずる如く連行した(その間同巡査は大西に左足首を一瞬持上げられたことがあつた)が、右地点より先は、相当な数の学生達に取り囲まれながらも自ら歩行するに至つた同巡査に対し、学大正門内に至る間、その腕を左右からとつたり、肩や腕のあたりを押したり、あるいは背中を押したりしながら同巡査を同正門内に連行した」事実のみは認めうるが、被告人中辻が公訴事実にいう犯行現場において公訴事実にいうような犯行に加担したことを認めるに充分な証拠はなく、右事実は認められないと判断している。
次いで原判決は、右認定にかかる被告人石原、同井上の所為は全体として行為の外形上暴力行為等処罰に関する法律第一条にいう数人共同して暴力(原判決には暴力と記載してあるが暴行の意であると考えられる)を加えた場合に当りその構成要件を充足するものというべきであるから、その所為は外形的には一応違法の推定を受けるが、大要次のような理由により超法規的に違法性が阻却されると説示している。即ち小川巡査はいわゆる警備警察活動の一環として峠越昌子を通じ(すなわち「対象」として)一般的、継続的、組織的且つ秘密裡に学大当局の公認にかかる学大学生自治会の活動状況を把握すべくこれに関する情報を収集する意図のもとに(その意図が真に目的とするところは明らかでなく、もとより具体的な犯罪が生起し、若しくはそのおそれがある場合であつたとは認められない)同女に接近、接触したものと認められることは証拠上明らかであり、学大当局がこれを是認したものと認むべき資料はなく、学問の自由が大学の自治を内包し、大学の自治は大学当局の公認にかかる当該大学学生による自治組織の結成及びその自治活動の自由をも包摂して考えるべきものであるから、小川巡査の右行為は明らかに大学の自治に対する侵害行為の実行に着手したものと認められる。ところで被告人石原、同井上が右認定の所為に及んだ動機、目的は、小川巡査の峙越昌子に対する接近接触に関して、同巡査が学大自治会の活動状況を把握すべく大学の自治を侵害して警備情報の収集活動をし、あるいはこれをしようとしている旨疑い、事態の真相を明らかにするため同巡査に釈明を求めた上これが対策を検討、実施し、以て学問の自由、大学の自治を保全擁護しようとするにあつたのであるから、右動機及び目的は健全な社会通念ならびに法秩序全体の精神にかんがみ正当であると認められるし、学生達が当日前記天王寺分校内で開催された学生集会に来席して釈明を求めることについて同巡査が頭からこれに応じず、そして学生達にとつて直ちにこれを求める必要と理由があつたのであるから、同巡査の腕をとらえて体の後を押し連行することも蓋し止むを得ないことといわざるを得ず、また同巡査がなおもこれを拒否し、その姿勢をとつて歩行しなければ、自然ひきずられる恰好となることも致し方のない道理であるから、前記のような小川巡査に対する暴行は被告人石原同井上その他学生達の動機目的に比し相当であつて止むを得ない限度をこえていないし、同時に法益の権衡を考えてみても、右被告人両名の暴行によつて生じた法益の侵害は、つまるところ小川巡査個人の行動の自由がわずかな距離と時間において制約され、精神的にはいささか不愉快と畏怖ないしは不安緊張の念を生じた程度にすぎないものと認められ、かかる同巡査の個人的具体的な法益に対する侵害の内容程度と、本件被告人石原、同井上等学生が保全擁護しようと目した学問の自由に関する法益との大小を比較すると後者が優越することは多言を要しない。また学問の自由その他憲法上の自由及び権利に対する侵害の排除は常に要急の事であつて急を要しない防衛ということは考える余地がない。被告人石原、同井上を含む学大の学生等は本件当日学大構内よりたまたま出てきた小川巡査が学大正門の外約五米位置において峠越昌子に話しかけたことを間もなく知つたのであり、しかも右小川巡査が立去るのを学生達が制止したのは僅々右正門と市電の走る道路とを結んで学大にほぼ直角に走るいわば登校用道路上を右正門から約七〇米北寄の地点においてであつて、その上当日は折しも寮問題等を議題とし、更に学大池田分校自治会の緊急提案として小川と峙越の接触問題をとりあげるべく予定した学大三分校合同の学生集会を開くことになつていたのであるから、かような時期において学生達が小川に対し来席の上峙越との接触について釈明することを要求するのはまことにもつともなそして時宜を得た措置であり、大学自治の問題が大学当局にとつてのみならず、学生全般にとつてゆるかせにし得ない問題であることを思えば、右当日その時その場所において小川を制止し来席した上での釈明を求めることの緊急性はこれを肯認するにかたくない。以上のとおり被告人石原、同井上の前示構成要件該当の所為はその動機目的の正当性、手段方法の相当性を具備し止むを得ない限度をこえず、同時に法益の均衡を失しておらず、緊急性も肯認できるものである外、本件の全体を通じて観察するもわが国における社会共同生活の秩序と社会正義の理念に照らし毫ももとるところはなく、これを是認すべきものである、と説示している。
そして原判決は結局被告人中辻については本件公訴事実に関する犯罪の証明が充分でないものとし、被告人石原、同井上については同人等の前示各所為に関し超法規的に違法性が阻却されるものと認め、いずれも罪とならないものとし、刑事訴訟法三三六条により被告人三名に対し無罪の言渡をしたものである。
第二、検察官の論旨に対する判断。
一、控訴趣意第一点、原判決の事実誤認の主張について≪略≫
二、控訴越意第二点、原判決の法令違反の主張について。
論旨は、原判決は後記の如く違法性に関する事実の誤認に重ねて、学問の自由、大学の自治の観念を不当に拡張解釈し、何ら違法にわたらない警備情報活動を違法と解し、実質的違法阻却事由を具備しない本件をこれに該当するものと認定し、法律の解釈適用の誤を犯しているのであるが、仮に百歩を譲つて罪となるべき事実及び違法性に関する事実を原判決の認定するとおりとしても、なお原判決は実質的違法性阻却の要件に関する具体的法律判断を誤り、総体的に実質的違法性論の具体的適用を誤つている、というのであつて、その理由とするところは左のとおりである。≪中略≫
よつて先ず所論一の(1)小川巡査の意図について考察する。
いわゆる平野文書は平野警察署警備係の警察官が遺失したもので平野警察署警備係員の実施した昭和三三年七月頃から同年一一月頃にわたる警備情報活動の作業報告書作業カード等がその主要な部分であるが、その対象者は全逓信労働組合東住吉支部組合員上田利男等が被告人中辻外数名の学大学生もその対象とされており、右学生に対する調査結果は検察官挙示の事項の外学大自治会における役職及び社会的活動が作業カードに記載されている程度に止まつてはいるが学大学生以外の対象者に対しては特定政党への擬装入党をさえ勧奨している形跡がうかがわれ、同署員の警備情報活動が部分的にではあるがいわゆる特高警察の活動と近似した程度にまで及んでいたことを思わせるものがあるから、右文書によつて窺知しうる警備情報活動が所論のように必要にして最少限度の範囲内のものであつて非難するに当らないといい得るか呈かは問題である。ところで警察組織は統一的な機構であり、第一線の警備情報活動に従事する各警察署の警備係員の活動は所管上級機関の指揮統卒下に行われかつ相互に連絡を保ちながら行うものと推認されるから、天王寺警察署の警備係員であつた小川巡査の警備情報活動の性質を理解するについて、右平野文書が無縁のものであるとは思料しがたい。また小川巡査が峠越昌子と直接面談したのは所論のように昭和三四年一一月二日の一回だけであるが、原判決摘示のように同巡査は同年八月に同女の下宿先(偶々同女は留守中であつた)を訪問しておりその訪問の仕方や下宿先の家人との対話の内容、右一一月二日の面談の際の対話の内容等は小川が峠越と同郷で同じ高校の出身であることの親近感から通常の交際を求めるためであつたと考えるには余りにも不自然であり、小川がこのような接近を計る契機となるべき何等の機縁も看取できないし、さらに右面談の際小川は峠越に対し学大自治会役員となつた動機、学大新聞の話、一〇月二九日頃の安保統一行動の話等に話題を及ぼし、自宅へ泊りがけで来訪することをすすめ、連絡方法についても交番の電話を使うように指示したりしたことや、同巡査が学大学生東良輝、外大学生大西宏磨等にも不自然な接触を試みていたこと、峠越は当時学大池田分校自治会執行委員(財政部長)ではあつたが、その地位と無関係に何らかの不法行動の計画、謀議に参画した形跡を認める資料がないこと等を綜合すると、小川巡査が警備情報活動の一環として峠越昌子を通じ(即ち対象者として)継続的かつ秘密裡に学大自治会の活動状況を把握すべくこれに関する情報を収集する意図の下に同女に接近接触したものと認める外はない。(治安上の観点から情報を入手しようとするものであつたとしても、学大自治会の活動を把握することにより治安情報を入手する意図であつたと推測せざるを得ない)なお所論のように小川巡査は本件当日学大天王寺分校を訪れたのは自衛隊仮合格者二名についての調査のためであり、当日右分校で学生集会のあることを知らなかつたものであるとしても、当日同巡査は右分校正門から出たところで偶々峠越を目撃して歩みより同女に挨拶したが同女は挨拶を返しただけで正門内に去らうとしたところ、同巡査は同女と並んで正門に向つて歩きながら二、三米の間話しかけたのであるから、同巡査のこのような行動は同女との接触を維持する努力の表われと見られるもので従つて警備情報収集活動の一部を成すものと評価することができる。
次いで所論一の(2)被告人井上、同石原等の意図について考察すると、右のような本件当日以前の小川巡査の峠越に対する接触を聞知した被告人石原(学大学生で昭和三四年六月末から学大池田分校自治会書記長に就任し、その頃大阪府学連の執行委員になつた)外学大池田分校自治会の幹部は、前記平野文書事件のことも考え合せて、小川巡査の行動は峠越を「対象」とすることによつて同自治会についての情報収集を企図しているものと判断し、同月一〇日学大池田分校自治会執行委員会にはかつた上事態を究明する必要があるとし、同時に学大天王寺、平野各分校にも連絡して抗議態勢をたてようと考え、そして先ず峠越の語るところを整理して「私達は真実を伝える」と題するがり版刷のパンフレツト約八〇〇枚を作成し、内六〇〇枚は池田分校々門で学生に配布した外、残りは天王寺、平野両分校において学生に配布したので学大学生は一般に小川巡査の問題について深い関心を有していたところ、本件当日は天王寺分校講堂において午後から三分校合同による学生集会が行われ、学生寮自治の問題と就職問題とが議題に上程されることになつていたが、池田分校自治会としては合同執行委員会の議を経て右小川の峠越に対する接触の問題を取り上げて緊急提案し討議の上集会終了後天王寺警察署に事態の究明と抗議を兼ねて赴く予定であつた。そして同日午後二時頃講堂にて既に天王寺、平野各分校の学生が着席し、池田分校学生の到着を待つていたが、池田分校学生を乗せたバスは同日午後二時過頃天王寺分校正門から北へ約二〇米の地点に到着し、池田分校学生約四〇名がバスから下車して天王寺分校内に入つて行つたが、被告人石原は車内に忘れ物がないかを点検するため、また峠越はバスの車掌に料金を支払うため下車が遅れて、共にあとから下車し、峠越が被告人石原よりやや先になつて天王寺分校正門に向つて歩いていたところ、小川巡査がこれに歩み寄り爾後前記のような経緯で本件が発生したものであることは原判決説示のとおりである。これらの事実に徴すれば、当初被告人石原が小川巡査に対したのは峠越との接触問題について釈明を求めるためであつたと考えるのが、合理的かつ妥当である。しかしその後参集した被告人等を含む多数学生の言動に徴すれば、多数学生の中には所論のように小川巡査が当日開かれる学生集会の内偵に来たものと誤解して激昂していた者もあると認めざるを得ず、(しかもこの誤解は事態を十分に把握せず、衆を恃んで行動しようとする自主性を喪失した行動に起因しているものであるから、誤解した側が責任を負ふべきものである)これらの学生達は小川巡査が違法な情報収集活動をしたものと考えて反感、憤懣を抱いて行動したものと解するのが相当であろう。従つて本件において行動した多数学生中には、前記の如く峠越問題について釈明を求めんとする意図と、検察官主張の如く小川巡査個人に対しいやがらせないしは報復手段を加えて、将来学大自治会に対する接近をはばまうとする意図とが混在していたものと解するのが相当であり、この点に関する原判決の認定の誤というべきである。
進んで大学の自治及びこれと大学における学生集会との関係について見るに、大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められており、この自治は、とくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基いて選任され、また大学の施設と学生の管理についてもある程度まで認められ、これらについてはその程度で大学に自主的な秩序維持の権能が認められている。大学の学問の自由と自治は直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解されるが、大学の施設と学生はこれらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も教授その他大学当局の指導の下に学問の自由と施設の利用を認められる。もとより憲法第二三条の学問の自由は、学生も一般国民と同じように享有する。しかし大学の学生としてそれ以上に学問の自由を享有し、また大学当局の自治的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基き、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。大学における学生の集会も右の範囲において自由と自治を認められるものであつて、大学の公認とした学内団体であるとか、大学の許可した学内の集会であるとかいうことのみによつて、それらの団体、集会の行動の如何をとはず、特別な自由と自治を享有するものではない。即ち学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、教授等の指導を離れ、大学の施設外に出て、他の団体と協力し、実社会の政治的社会的活動に当る実践的な行為をする様な場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。
そこで警備情報活動及びこれと大学自治との関連について考察を進めると、警察法第二条第一項に定めるとおり、警察が公共の安全と秩序の維持に当る責務を有し、犯罪の予防、鎖圧及び捜査、被疑者の逮捕交通の取締等の職責を有することからすると、公安を害する犯罪に対する警備実施活動及び捜査活動を行なうための資料として治安情勢に関する情報を適確に収集把握し以て警備警察活動に遺漏なきを期する要があるから、警備情報活動が警察法第二条第二項にてい触しない限り原則的には許容されるものと言わざるを得ないであろう。然しながら大学における教授その他の研究者の研究、発表及び教授の仕方を監視したり、無断で大学の施設内に立入つて学生の研究会や集会を監視したり、盗聴や信書の開披等違法手段を用いたりして、これらに関する警備情報を収集する等の警察活動が許されるとすれば、到底学問の自由及び大学の自治は保持されないものというべく、大学の学生自治会の活動を把握するための警備情報活動がどの程度許されるかを考えるについてはきわめて慎重な配慮が必要である。例えば大学の学生自治会において学生がその強固な信念に基いて破壊活動、殺人その他明らかに犯罪と認められる行為の計画ないし謀議をし、更に実行々為に出るおそれがあるとはつきり認められ、しかも大学当局がこれを知らず又は知つていてもその学生に対する管理指導の権能を行使してこれを差止める意思や能力が欠けていると推測されるような場合には、大学当局の要請若しくは事前の承認がなくても、大学内に立入り、その他手段を尽してこれに対する情報を収集することは当然許されるであろうが、学生集会の指導者、個々の構成員あるいは上部団体等の政治的、社会的行動により、何等かの疑を生ずる場合でも、ある程度の情報を収集してみなければその学生集会が実社会の政治的社会的活動にわたる行為をしているか否か及びそれが違法の行為に発展する虞があるか否かが判明しないような場合には、大学当局の要請ないし事前の承認なくして学内に立入りその他不当の手段を用いて警備情報収集の活動を行うことは許されないと解すべきであろう。
今これを本件について見るに、本件当時の前後において労働運動、社会運動と関連してなされる学生特に大学生の組織的集団行動がある程度公安に影響を及ぼす事件となつていたことは公知の事実であり、検察官指摘の(イ)(昭和三三年九月一五日)の大阪府学連傘下の多数学生の行動ならびに(ロ)(同年九月二四日)及び(ハ)(同三五年六月一六日)の同学連傘下の学生の行動等も当時の新聞紙上に報道せられた顕著な事実であり、被告人中辻は同学連の副委員長として活動していたことは小川巡査の探知するところであつたから、小川巡査が右中辻が書記長である学大天王寺分校自治会、或は之と密接な関係にある学大池田分校自治会の動静に関する情報を収集しようとしたことは、学大自治会の政治的社会的活動が違法行為に発展する可能性を有しているのではないかとの疑の下に、それを探知する目的に出でたものと考えられる。従つて小川巡査は治安情勢の把握に全く不必要な情報活動をしたものとは断定し得ないし、その上小川巡査の峠越に対する接近接触は学外においてなされかつなんらの強制を伴わない任意な方法によるものであり、その質問内容や接触方法も違法なものとも解せられないので、本件行為当時迄の小川巡査の行動が大学における学問の自由、自治を侵害したものとは認められない。ただ峠越個人の立場から見ればその方法が幾許かの金品の供与や、好意、親切を示すことにより峠越からその所属の学生集会についての情報を提供させようとする不明朗な、しかも常識的には稍反倫理的なものに発展する可能性のある行為であつて、峠越個人の尊厳を冒涜する行為であるとの疑を抱き得るが、それは同女本人の拒絶により容易に断念解消せしめうる行動であり、又その様な行為は峠越が接触を拒否したのに拘らず執拗に接触を続ける場合に始めて違法行為となると解すべきであるが、峠越がこの様な意思表示をしたことは同人自身認めていない。従つてこれらを併せ考えると、小川巡査の峠越に対する接近、接触を以て直ちに大学自治に対する侵害行為の実行に着手したものとはいいがたく、又峠越個人の人格を害する様な違法な行為がなされたとも認められず、この点に関する原判決の見解は正当とは認められない。
最後に被告人井上、同石原の所為が行為の外形上暴力行為等処罰に関する法律第一条にいう数名共同して暴行を加えた場合に当りその構成要件を充足し外形的には一応違法の推定を受けるものであるとしながら、(この点に関する原判決の判断は正当である。即ち被告人等の本件行為は殴る、蹴る等いわゆる典型的な暴力行使ではないが、他人の身体に対する有形力の行使であることは間違なく、且暴行罪には弁護人主張の如き行為の定型性を要しない。)超法規的にその違法性が阻却されるとした原判決の法律判断の当否につき検討すると、小川巡査の峠越に対する接近、接触を目して直ちに大学の自治に対する侵害行為であると云えないこと前説示のとおりであるとしても、少なくとも学生側から見れば、将来その侵害行為に発展する虞ありと考え得る行動であつたと謂い得るから、被告人等が峠越に代り、その警備情報収集を阻止する目的の下に峠越との接触問題について釈明を求めこれを拒否されるや更に詰問追及しようとすること自体は不当な目的に出た違法な行為であるとは云いがたい。(但し本件において一部学生中には他の目的も混在していたことは前記説明の通りである。)然しながら、小川巡査の活動が右のように学外において強制を伴わず対象者個人の任意の協力を期待する方法によるものであり、且当時同人は他の用件で学大を訪問した帰途、公道上にあつたのであるから、釈明要求の手段としては、質問ないし詰問により相手方の任意の応答を求める限度に止むべきであつて、詰問のために同行を肯んじない相手方を暴力を行使して約百米離れた学大構内まで連行しようとするが如きは(しかも小川巡査は近所の駐在所で話そうと云つているのを聴き入れず学大構内に連行している。)許容される手段とは解しがたく、釈明要求の方法としては相当性を欠くといわなければならない。何となれば、仮に学生達が小川巡査の峠越に対する接触を以て大学自治の侵害であると考えたにしても、その接触は峠越自身が拒否することにより容易に切断しうるわけである。(峠越自身は学大自治会幹部に小川巡査の接触を打明けたのであるから結局はその接触を拒否する意向であつたのであろうが、本件発生時までは小川巡査その者に対し拒否の意思表示をしていない)結局このような自治会活動把握のための情報収集を目的とする行動は学生一人一人が自らの尊厳を自覚し学生集会の自治性擁護のため接触を拒否することによつて自ら遮断されるはずであるし、また学大当局若しくは各大学首脳部(例えば学長グループ等)、あるいは文部省当局と警察上層部との話合により解決される可能性がないわけでもないからである。(なお小川巡査の峠越に対する接触が前説示のように大学自治に対する侵害であるとは断定し得ない以上、違法の侵害行為とその排除手段とを対比する議論としての法益均衡の問題及び情況の急迫性行為の必要性の問題は関係がない。)
以上説示したところから結論すると、被告人井上、同石原両名の本件行為が超法規的に違法性を阻却されるとの原判決の判断は妥当を欠くといわなければならない。
然しながら小川巡査の本件行為、即ち警備情報活動と称されるものは、行為の性質上その手段方法は隠微且不明朗であり、その対象とされる学生の側から云えば、学生集会及び学生個人の思想動向をも調査されるもの、従て学問の自由、個人の尊厳をも侵されるものと感ずることは無理からぬことであり、その反感、憤激を容易に誘発し易い活動であることは否定できないところであつて、学生達が本件暴力行為に及んだのも前記のような本件当日の機運情況から言えばいわば自然の勢であると云わねばならない。又本件において学生達が小川巡査を学大内へ強制的に連行するために施用した有形力の行使は、きわめて短時間かつ短距離の範囲であり、殴る蹴る等の悪質苛酷な暴力は全く行使せず連行に必要な最少限度の腕をかかえ引張り、或ひは後ろから押す等の程度に止まつていて法益侵害の程度はきわめて軽微である。ただ本件が何等から犯罪の手段として行はれたものならば、その犯罪の重要性に比例して本件行為も違法性が増大するであろうが、小川巡査が学大内に入つてから後の事実は起訴されていないから原審において審理も尽されておらず、学大内で果して犯罪を構成する様な行為が行はれたか否かは明らかでない。従て本件暴力行為はそれだけの行為として評価せざるを得ず、この見地からすれば(目撃者中には、学生達が先輩を学内に連れて行くところかと思つたと証言している者もある)極めて軽微な事件と謂はざるを得ない。これらの諸点を綜合すると、本件暴力行為は可罰的評価に値するほどのものとは認められず、これを不問に附し犯罪として処罰の対象としないことがむしろわが国の全法律秩序の観点からして合理的であると考えられ、原判決の結論である超法規的違法阻却の是認も結局これと同趣旨に帰するものと解される。
以上説示したところにより、被告人中辻については犯罪の証明がなく、被告人井上、同石原については罪とならないものとし、何れも刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をすべきものであるから、これと結論を同じくする原判決は相当である。(田中勇男 三木良雄 木本繁)